朱いお花畑と白い蛇 その六(完)
前回までのお話
血の滲むような努力の甲斐あって、蛇は少しずつ自力で飛べるようになってきました。トンボが1匹また1匹と離れても、何とか浮いていられるのです。そしてようやく高いところまで昇れるようになった日のこと・・・
夕暮れ、蛇は空から降りてくるなり言いました。
「おかしい、どうも様子がおかしい・・・」
ソラは、すっかり上手に飛べるようになった蛇が嬉しくて仕方ありません。蛇の周りをぽよんぽよん跳ね回りました。
「ちっともおかしくないよ、上手に飛んでるよ!すごいなあ、君は!人々の願いを叶えたい、龍になりたいってそれだけで、空も飛んでしまうんだもの!」
しかし蛇は、いつになく疲れた様子で、おかしいおかしいというのです。
「体が動かないのだ。何とも眠くて、仕方がない・・・」
そう言うなり、祠に入ると珠を抱え、とぐろを巻いて眠ってしまいました。ソラもまた、その懐に潜り込んで一緒に眠りました。
✴︎ ✴︎ ✴︎
ほの明るさでソラは目を覚ましました。ふわりと軽い薄衣に包まっているようでした。蛇の姿がありません。窓から入る月明かりで、ソラの影はくっきりと浮かび上がりました。お社の扉が開いています。ソラはぽよんぽよんと外へ出てみました。
そこには、大きなおおきな長いものがどっしりと横たわっていました。月に照らされて体がぬらっと光りました。背中にふさふさとたてがみが揺れています。鱗のついたがっちりと頑丈な手足、鋭く曲がった爪、重たそうな頭には太い角が2本、それから黄金色に光るあの透明な目・・・
「きみなの?」
ソラは小さな声で尋ねました。太く長い体がズルズル回ったかと思うと、グオーングカーンと、鐘が鳴りました。
「脱皮を、したのだ。気づいたら、この体に」
ソラはうわぁっと跳び上がりました。
「きみ、すごいね!願いを叶えたんだ!」
龍は握った珠を見せました。
「珠が光っている。願いを叶えてくれたのだ」
ソラは嬉しくて龍に飛びつきました。そしてぽよぽよとその大きな体によじ登りました。
「これでみんなの願いを天に届けられるね!」
「わたしは、天に昇れるだろうか」
「できるよ!昨日だって、ひとりで飛んでたんだもの!」
ソラは龍の角と角の間に潜り込みました。やわらかなたてがみがソラを包みます。気持ちが良くてソラは喉をゴロゴロと鳴らしました。
「では翔んで・・・みようか」
言うや否や、龍はぐわっと天に向かって翔け昇りました。体をくねらせ、空を切り、ぐんぐん加速していきます。風がものすごい勢いで吹き抜けていきます。ソラは振り落とされないよう角にガッチリしがみつきました。
どれだけ昇ったのでしょう。勢いがふわっとゆるみ、龍は宙に浮かびました。そして、流れるように優雅にゆるやかに、月の光の中を泳ぎ始めました。時折、クオーンと鳴き声を上げ、その声は天上の波間をぬって彼方まで渡って行きました。額の上で、またソラは喉を鳴らしました。
いつしか龍は、五色に光る雲の中を飛んでいました。雲は、どこまでもどこまでも続いています。ソラは、遠いどこかで、ここを知っているような、とても懐かしくてあったかい気持ちになりました。雲の連なりの遠く遠く向こうに、金色の太陽が昇りました。龍の目と同じ色です。なんとまぶしくうつくしいのでしょう。ソラは思わずくしゃみをしました。
クオーンと龍が鳴きました。
「ご覧。雲が集まる」
「雷が鳴り、田に雨が降る。稲妻が光り、実が重くなる」
龍の言葉は、まるで呪文のようでした。ソラは応える代わりに喉を鳴らしました。するとそれは、ゴロゴロと空中に響きました。龍はカーンと笑いました。それもまた、空中巡って響くのでした。龍の手にした珠は、五色の光を帯びて、
「さあ、参ろうぞ。天の水よ、地に流れよ」
龍は大きく弧を描いて回り始めました。それに合わせるかのように雲も流れ、次第に渦を巻き、黒く力強く湧き立っていきました。
龍は渦に乗ってその中心へ、下へ下へ降りて行きます。雲の中は、稲光と稲妻の嵐でした。すぐそこで雷鳴が轟きます。降り行くほどに風は強さを増し、大粒の雨が滝のように押し寄せてきました。けれども龍は風に煽られることもなく、雨に濡れることもなくゆったりと滑り降りていきます。真っ黒な雲の下では、真っ黒な山と海が揺れていました。あの小さな祠はどこでしょう。あの朱いお花畑は・・・
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「ここはどこだろう?」
ソラは、はっとして立ち上がりました。
一面、朱いお花畑が続いています。木々の向こうに高く青い空が見えました。昨日までの大嵐で、洗われたようにピカピカです。足元に青い毛むくじゃらのものが落ちていました。両手で広げてみると、くったりとダルマのような形、何かの抜け殻のようでした。
ついっと、目の前を何かが横切りました。トンボです。見回すとそこいら中、何匹も飛んでいます。ソラは楽しくなって、朱い花の間を追いかけて行きました。長く伸びた真っ白な雲が一本、ビルとビルの間に見えました。金色の朝日に照らされて、雲はどこまでも高く昇って行くのでした。
おしまい
「ねこのて、かします。」2018より