炊きたての玄米を食べる。

むしろ、噛む。

足るを知る、という言葉を思う。

もうこれだけで十分に感じる。

昼は玄米と味噌汁(たまに常備菜)という

およそ素食と呼ばれる献立なのだが、

味噌汁すらいらない。

どこで読んだだろうか。

「噛む」とは「か」「む」、

つまり「神」であり、

「か」「み」とは「火」「水」である。

それは自然の姿であり、

小さな自然は料理でもある。

そんな日本語に秘められた

遊び心、そして

おまじないや祈り。

遠い遠いご先祖さまたちの

守りを感じる。

ヒトになる以前かもしれない。

忘れても知らなくとも、

生きるだけで守りとなるもの。

玄米を炊くのは

アルミとステンレスの何層にもなった

圧力鍋。

アルミか…。

アルツハイマーの原因とも言われている。

排泄されにくく溜まっていく。

そう思って

先日やっと土鍋を買ったけれども。

わたしはそれでも

アルミとステンレスの

圧力鍋で炊いた方が美味しいと思うのだ。

玄米は

デトックスのパワーが強い。

体に溜まった

重金属すらも排泄するとか。

発芽状態にならないと

毒素が抜けないとか。

何がほんとかってわからない。

正しい間違ってる、

良い悪い論で行くと、

目的は同じなのに戦ってしまう。

同じ方向に進みたいのに

手段や思想が違って

分断されている。

今、

そんなことがたくさんある。

玄米をかみ、

つれづれ思うこと。