似顔絵や挿絵イラスト・絵本など企業・個人様のご依頼を「絵本作家 むらかみしの」が承ります!

MENU
水彩 イラスト 雲
お問い合わせはこちら

ブログ

大事なこと。

【長文。吐露。徒然。大事。】

薄ぼんやりと感じた「それ」にきづくことが
いかに大事か。

心のはしっこや
頭のすみっこ、
体のどこか(〇〇っこ、って言いたかった)、

「わたし」は絶対にそれを捉えている。

だけど、
日常の大きな刺激に慣れすぎて
生活が忙しすぎて
それにきづくことが難しい。
それをちゃんと見つめる。
まだまだ全然できないけど、
少しはできるようになった。

多分、今いちばんだいじなのは
そこだと思う。
今、というか、きっとずっと。

わたしは、この世界的大流行に違和感がある。

それは具体的に目の前に現れた現象や問題についてももちろんそうだけど、
でもそれではなくて。
具体化されて現れた向こう、その奥。
全部におなじことが言える。

優等生だった半生。
意見の押し付けが嫌で、くぐりぬけてぶつからない。
我が強く頑固でもあったから、非難されず我を通す術も多分身につけてきた(と思う)。

体は丈夫と思っていたが、
でも多分心の方が丈夫で、
頑固と鉄壁の守りで自分の中で勝手に闘ってた。
葛藤、というのか。
〜ねば、も、〜べき、もいっぱいあった。

5年まえ、乳がんが発覚した。

2ヶ月迷って、
けれどもある日あっさり決断した。
ただ、切る。
そのとき、一切の迷いがなかった。

いわゆる大病の代名詞「癌」。
死因の王座に君臨し続けてる。
(今の流行り病は、グラフで目視できない事実をご存知か)
そんなものを持ち出すのはずるいなあとも思うが、致し方ない。

わたしは、罹患してほんとうによかった。
感謝しかない。
(大きな病気で恐怖の中で闘ってる…闘う必要はないのだが…方やご家族には、嫌な言い方だと思う、申し訳ない)

側から見ていて、
考え方や生き方が随分変わったようだ。
わたしとしては、少しだけ自分に正直に表現するようになっただけだ。

ここである。
大事なのがここだ。

多分、自分を見つめる、掴む、捉えることをたくさんやった。
どれもかじっただけで全く習得できてないし、
そのプロフェッショナルをいつも大変羨ましく思うが、
わたしが一流になる必要はない。
自分に役立てればそれでいい。
専門的なことや技、知識のプロはいつでもそこにいる。
求めれば、ちゃんと用意されている。

けれど難しいのが「求めれば」だ。

求めれば絶対に手の届くところに全て用意されてる。
つながる道が必ずある。
「わたし」の答えだ。
これが原点だ。

取り巻く生活や社会に対しては、
具体的なもの、物質、仕組み…
違和感を感じるきっかけやエッセンスをたくさんもらった。
それそのものを論じるのはわたしにとってはあまり意味がない。
全部深いし専門的だ。
全部がつながる。

例えばまず食べること。
これは大好きだから興味もある。
だから少しだけ実戦と知識もある。

添加物。
農薬。
醗酵。
よく噛む。
土地のもの。
ひとつを丸ごと。
野菜。
肉食。
乳製品。
甘いもの。
精製。
米。
玄米。
水。

それぞれが深い。
そして全てつながる。

それから薬と医療。
精神的(あくまでも精神的…)に直面したから、
これは武器。

西洋医学の要不要。
東洋医学。
民間療法。
統合医療。
薬の要不要。
量子力学。
ワクチン。

須く精神的なものにつながる。
それをアヤシイ世界と言うのか。
心と体とみんな知ってるのに。

フラセボ効果。
ホメオパシー。
オキシトシン。
靈氣。
日月神示。
日本人。
魂。

つながった。
かえってくる。
「わたし」だ。

とりとめのない長文。
社会が忙し過ぎて、刺激の強いものが次から次に現れて、立ち止まることや見つめることができなくなっている。
仕組まれた仕組みの社会、というのも頷ける。
そんな本や動画やサイトもいっぱいある。
それらにレッテルを貼って、近づこうとしない。
それもまた仕組み。

「不安や恐怖を煽るものは、まず疑え」
「思い込みや前提、色眼鏡を外せ」

そして

「自分の中の聞こえない声に耳を澄ませ」

もう、これだ。
これだけだ。
自分を信じるってそんな単純なことが、
どうしてこんなにも難しくなってしまったんだろう。

あなたはあなたを信じる。
わたしはわたしを信じる。
見えないものを見て、
聞こえないものを聞く。

方法は、人によって違う。
それが豊か。

…で、わたしのたどり着く先は、
「描くだけ」「表現するだけ」なのだ。
何十回も何百回も、
何度問うてもここにたどり着く。
それが「わたし」のきっと唯一揺るがないもの。

はーーーーー

やろ。