ご挨拶に行った地元のお宮。
こどものころからの遊び場だった。
のどかで、ただ、ひだまりみたいなところ。
わたしの知るお宮さんは、
威厳があるわけでも荘厳でもなく、
乾いていて、ただある、というところ。
イメージの中の神社と全然違う。
わたしの好きな、憧れるものと違う。
こどもたちの遊び場、
小さな神さまが、
ときどき一緒に遊んだり、ただ見守っていたり、
そんなところだ。
罰も与えなければ、願いを叶えたりもしない。
わたしたちの在る姿を見守ってる。
お寺さん、まだ行けてないな。
お墓は、もっと人っぽい。
隣のおじいさんおばあさんが、お父さんお母さんがいっぱいいるみたいな。
誰かもわからないけれど、
まだ人だった感じが残ってる。
お寺のおっさんは、どうも曰く有り気だが、
それもまた、人々が子孫に残す生きるズルさというか、社会の優位な仕組みだ。
「心ここに在らざれば、視れども見えず」
初老と言っていいのか、女性の神主さんだった。
記憶を頼りに書いてみたが、巫女さんになってしまった。
小学生の頃、志野さんぜひ遊びにいらしてくださいと言われて、はい、と遊びに行ったことがある。
椿で作ったジャムをいただいた。
正直、味は覚えていない。
クラッカーに乗せて、食べたと思う。
なぜおじゃましたのか、多分、誘われたから行かなきゃと思ったのだ。
ただそれだけの、だけれどもお宮を訪れる度に思い出す、印象的な記憶。
「心ここに在らざれば、視れども見えず」
その言葉は、
どれだけ今を、わたしを、世界を、
表しているだろう。
そしてその言葉そのものが、その言葉そのものという、何とも深い。
そんな安っぽいことばでしか表現できない自分も情け無い。
わたしは正にその状態で、
朝、ちょっとだけ、
心が自分自身になかったから、誰かに責任転嫁して自分に言い訳して動いてなかった、って
気づいたところだった。
わたしは玉ねぎみたいに、
外側の皮が中心だと思って動いてたり動いてなかったりした。
衝撃なんて大したものでもないが、びっくりしてちょっとだけわかったんだ。
そんなタイミングだったから、
それはもう子どもの頃からのメッセージ、もらえた。
じゃあ、ちょっとだけ、心がここにあったのかな。
だったらいいな。
いつもブレて玉ねぎの皮になるけど、
ちょっとだけ芯に近づいたかもしれない、
言葉そのものがその意味だ。
純子先生を思い出す。
その姿は、
尊敬するだいすきなともだちの作家さんにそっくりで、
ちょっと笑ってしまった。
それは、視えているのか見えていないのか。
下に鳥居が見えるのは元々あったのかな。